33.捩れ



「これ、は・・・なんですか?」

未幸の部屋を訪れた柚有は、未幸の座っている場所を
中心に広げられた紙の束に目を丸くした。

「なんだと思う。」

「えっと・・・手紙?」

「うん。ラブレター。」

――ラブレター。

頭の中でその言葉を反芻させた柚有は彼女とのミスマッチさに、苦笑を禁じえなかった。
ついさっきまで、大勢の群集を前に落ち着き払った、
しかし情熱のこもった声音で演説めいたことをしていたのは彼女だ。

「誰からの?」

柚有は、思わず聞いてしまってからしまったと思う。
聞くまでもなかった。
この手紙の山を送った男が1人ならば、それは彼しかいないだろう。
銀の髪をもつあの美しい男以外、いない。

柚有の心中をすぐに察したのだろう。
未幸は何も答えず静かに笑った。

「とつぜん、どうしようもなく怖くなって眠れないときはこの手紙を読んだ。
 いつのまにか手紙に囲まれて、寝てるの。
 ねえ、知ってた?魔力が強い人が書いた手紙にはその人の思いが入り込むの。」

「その手紙にも・・・?」

「うん。触れているだけで、とても幸せな気持ちになれる。」

そういって微笑んだ未幸は、どこか寂しそうで、けれどとても綺麗だった。

「・・・。」

柚有には、未幸がこうやって話す様子が不思議でしかたなかった。
彼女は今、どこからどうみても普通の女の子だ。
初めに柚有が感じた、大人びて冷静沈着な印象はどこにもない。

――この人が本当に闇の統率者だというレグラなのか。

「あなたは、本当に――」

「私は、間違いなくレグラ。でも、あなたの前でだけくらい未幸でいても構わないでしょう?
 同じ・・・そう、同じ日本人なんだし。」

未幸はおかしそうに言った。



少しの不安と心細さを感じて未幸の部屋に行った柚有だったが、すぐに部屋を後にしていた。

力の強いものが書いた手紙にはその人の思いが宿る・・・初めて聞いたことだった。

当たり前かもしれないが、柚有はこの国の日常生活についてあまり知らない。
こんな些細なことでも知っているというだけで、いや、些細な日常を知っているからこそ、
力をもつ自分より彼女のほうがよほどこの国の人間に近い気がした。

――だから、なんだというのだろう。

ぼんやりと考えていた柚有ははたと気づく。
自分は、日本へ帰るはずだ。
ルーンがはじけるまでには、まだ多少の時間あるように思える。
セラウドはきっと、帰してくれるだろう。
そして柚有のまわりの風景は、また"日常"に戻るのだ。







「・・・クラウド。」

ノックの後、返事も待たずに入ってきたのはセラウドの思ったとおり、弟のクラウドだった。

そして彼の漆黒の瞳をみたセラウドは、続けるべき言葉を飲み込んでしまう。

「兄上、王がペルドへ攻め込む許可をだしました。」

なにもかも、覚悟し、決断してしまったその鋭い眼差しが容赦なくセラウドに向けられる。

「ユウを、助けにいきます。」

「クラウド・・・」

「初めから、あの赤の少年はそのつもりだったのです。
 ユウをそそのかし、仲間として迎え入れようとした。なんとしてもユウを連れ戻さなければ。」

セラウドの呼びかけを遮るようにしてクラウドは淡々と話を続ける。
まるで、何かが崩れてしまうことを恐れているように。

そんなクラウドをセラウドはじっと見つめていた。
あまりにも父に似ているその瞳から、それでも“普段のクラウド”を懸命に探す。

しばらく無言で向き合う。

はじめに短いため息をこぼし目を伏せたのは、クラウドだった。

「クラウド、自分が何をしようとしているか、わかっているのですか?」

「そんなこと、わかりきって・・・」

「ならば言葉を変えましょう。あなたはユウと戦うつもりですか?」

「なっ・・・?!」

クラウドが怪訝な表情で声をあげる。

「どういう意味ですか。」

意図的に低くされたクラウドの声がセラウドを急かした。

――落ち着かねば。

思えば、クラウドを相手に一芝居打とうなど今まで考えたことも無かったのだ。
王子と、神官。
それぞれの立場で得た情報は表でも、秘密裏にでも、共有しあった。
2人はいつでも、血のつながりによる情でも特権でもなく
共に戦ってきた、同士に近い感覚で向き合っていた。

だが、そんな2人の関係も崩れはじめた。
今、セラウドはクラウドに隠すべき重大な事実をかかえ、そして・・・操ろうとしている。
もう、対等ではない。
恐らくは、それらすべてユウがやってきてからのことだろう。

――すべてが崩れ、そして再生されるべきなのかもしれない。

ふとそう思った自分を恐ろしくさえ感じるのに、同時にその考えは
セラウドを納得させるに足りるものだった。

「本当はわかっているのでしょう?ユウは、騙されているのではない。
  今ペルドにいるのも彼女の意志です。」

「・・・っ。」

それはクラウドが最も恐れていた指摘だった。
その可能性が高いことには、すでに思い当たっていた。
柚有は向こう側の人間になったのだ、と。
けれどそれはクラウドにとって考えたくない選択肢だ。
そして最も腹立たしいのは、それを認めようとしない自分の心中だった。

「あなたが王の軍隊を率いていけば、事情をしっていようがいまいが、紫の街の者達は
 戦おうとするでしょう。よく知っているはずです。あの街にいる者すべてが力をもつわけではない。
 しかし、彼らはそんなことは気にかけず向かってくるでしょう。
 あなたも、戦うしかない。そして、結果はみえています。」

「力をもたない者を攻撃するつもりはない。」

苦々しい表情でクラウドが呟く。

「彼らが、攻撃をしかけてきても、ですか?」

「魔力を使えば、眠らせておくこともできる。どうにでもなる。」

そこにいるのは、幼い頃に戻ったように頑なな、手に余る弟だった。
セラウドは細く息を吐き出した。

「話を、しなさい。」

「何を突然・・・。」

「武力だけが唯一の方法ではない。耳を、かたむけなさい。」

「反乱者達の声に、か。」

「きっとあなたはそうせざる負えないはずです。」

セラウドは、この時やっと理解した。
話がしたい、という無茶に聞こえる未幸の願いが何を意味するのか。
恐らく、クラウドが辿り着いたさきにいるのは・・・

「話は終わりですか?兄上。そろそろ出発の時間だ。」

「・・・ええ。」

クラウドはさっとドアのほうを振り返ると、そのまま出て行った。

セラウドは唇の端をもちあげ、薄く笑った。
柚有がどちらの人間なのか・・・それは未幸の手紙を読めば一目瞭然である。
この状況なら、手紙がなかったとしてもそう考えてしまうのが普通だ。
だからこそ、クラウドを動揺させることもできた。
けれど同時に、彼は柚有がこちらを、いや自分を裏切るわけがないという考えを捨てきれていない。
セラウドはそれを利用した。

クラウドは軍のほとんどの勢力を率いていくだろう。
万が一、これがレグラ達の罠でも勝算と時間はまだある。
クラウドの後ろ姿を見送りながら、セラウドは呟いた。

「私も、行かねば・・・神殿へ。」


――きっと、彼女が来るはずだ・・・、










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