27.脱走





人々が寝静まったはずの時間、
1人の見張り兵が血相を変えてクラウドの部屋のドアを叩いた。

「ク、クラウド様!!」

「・・・こんな夜更けに、何だ。」

「少年が脱走しました。恐らく、ユウ様もご一緒に・・・」

「何だと?!」

反射的に少年の牢の方向の窓を振り返ったクラウドの目に、薄い紫色の光と赤い光がとびこんできた。
その力の持ち主は、間違いようもない。

――アイツ・・・!!

思わずテーブルに叩きつけたこぶしには血がにじんでいた。









逃げるという話を持ちかけられた次の日の真夜中、柚有は再びリドの牢の前に立っていた。

「もう決めたのか。」

柚有はくつくつとおかしそうに笑うリドを憮然とした表情で見つめる。

「何が可笑しいの。」

「騙されてるとか思わないのか?」

柚有も一応、考えようとはしたのだ。
得体の知れないリドのこと。
心配してくれているセラウドとロアのこと。今は何を考えているかわからないクラウドとカレルのこと。
彼ら全員に対して自分の行為は裏切りとなるだろうか。
けれどそうした思考は意味をもたず、すぐに結論はでてしまった。

――どうなってもいい。

「言ったでしょ。もう何だっていいの。」

「へえ。・・・殺されても?」

ぎらりと光ったリドの目にも、柚有はぴくりともしない。

「別にいい。」

以前と同じく、「殺す」という言葉と故意に発した殺気を理解していないのではと疑うほど
本当に何とも思っていないような柚有の態度にリドは苦笑いをし、軽くため息をついた。

――こりゃ重症か・・・。


「それなら決まりだ、いつでもいい。・・・どうぞ?」

リドは対して緊迫感もない声で柚有を促す。
前回より紫の色を増した光が、薄暗い牢を照らしていった。






「す、すぐにどうやって逃げ出したのか調べに・・・」

尋常ではないクラウドの様子に、兵士達もどうにかせねばと慌てふためいている。

「お前何を見ていた?!これは誘拐じゃない。ユウの意思だ!!」

鋭い目で睨まれた兵士は、その言葉の意味をとらえきれず固まってしまっている。
その様子を離れたドアから見ていたセラウドは軽くため息をついた。

「つまり、ユウが牢を破ったということです。・・・クラウド、取り乱しすぎですよ。」

「兄上!!」

「しかし貴方様自身が仰ったようにユウが自分の意思でここを去るのなら仕方がないのでは?」

突然あらわれたカレルからの言葉に、クラウドの表情が更に歪んだ。

「連れ戻さないということは、ユウを敵にまわすことと同じだ。
  あのゼーダの力を相手にどう戦うというのだ?」

「これからはクラウド王子次第ということでしょうか。」

「カレル、お前・・・!」

「勘違いなさいませぬよう。私は王子の決定に従います。ユウを連れ戻せと仰るならばその通りに。」

頭を垂れたカレルを、クラウドは苦々しげに見やる。

「柚有は大丈夫でしょうか・・・ああ、今回はともかく
   いつでも神官全員が貴方に従うとは思わないで下さいね。」

横からそう忠告し、にこりと笑ったセラウドは次に意味ありげな表情でクラウドをみた。
これだけの騒ぎが起きてさえ、セラウドは淡々とクラウドに決断をせまる。
セラウドとカレルの2人から見つめられたクラウドは俯き、片手で顔を覆うとゆっくり息を吐き出した。

部屋の中に訪れた沈黙が、外の騒ぎを際立たせている。
兵士は宮殿の周辺を探しているようだが二人のもつ力の大きさを考えると
もう近くにいないことは明らかだった。

「・・・ユウとあのガキを追う。」

次に顔を上げたクラウドの漆黒の瞳に迷いはなかった。

「しかし、ゼーダの力が紫に染まりつつあることを敵に知られるなどもってのほかだ。
 あくまで内密に、最小限の兵で動け。」

クラウドの自分に言い聞かせるような口調は、だんだんとカレルへの命令に変わっていく。

「承知いたしました。」

いつの間にか背後に控えていた年輩の兵に、カレルは耳打ちをし手はずを整えはじめる。
その後カレルと目を合わせたクラウドは思いがけず穏やかな微笑にであい
またもやカレルの考えを図りかね、眉をひそめずにはいられなかった。









「・・・ここは?」

柚有の力で牢を破り宮殿を抜け出した後、2人はリドの力で瞬時に王都から離れた場所へと移動していた。
真っ暗闇のなか、柚有はリドの後を必死で追うように歩いている。

「ここは俺の家のうちの1つ。」

「他にもあるの?」

「そこらじゅうにね。見ての通り家なんて代物じゃない。
  けど俺が家っていえばそこは間違いなく家だろ。」

柚有は暗闇に慣れてきた目を凝らしてあたりを見回した。
小さな岩のくぼみに雨風をしのぐテントのようなものが張られたそこは、家と思えなくもない。

「街からは、離れてるの?」

「あー、街の人間にとっちゃ近いようで遠いとこだろうな。」

無造作に片手を地面に置き、そこから焚き火のような炎を生み出しながらリドが答える。
相変わらずどこか謎かけめいたリドの言葉に、柚有は納得できずにいた。

「つまり、ここはどこなの?」

「場所でいえば青の街ラータと紫の街ペルドの間。ムラは近くにいくつもあるな。
 ついでに、この森はゼーダが最後の戦いに勝利した場所。」

「ラータと、ペルド・・・。」

王都ブロンや赤の街ロットの名もやっと口に馴染んできたばかりである。
聞き慣れない二つの街の名の響きに、柚有は自分がまた居心地のいい場所から遠く離れたことを知った。

どこか近くを流れているらしい川の音が、絶えず耳に届く。
暗闇の中研ぎ澄まされていく五感で柚有はまわりを感じ取っていた。
不快だと、感じる要素がここにはない。
無表情ではあるが、包み込みながらも放っておいてくれる自然の優しさだけがあった。











どれくらいの時間そうやっていたのだろう。
空がうっすらと明るくなり始めた頃、眠らずに柚有の少し後ろに座っていたリドが静かに口を開いた。

「どうだ?」

「どうだって、何が・・・。」

リドの突然の問いかけに振り向きつつ、その意図を聞き返そうとした柚有はあることに気づいた。

心が、穏やかだった。
苛立ちもなければ、虚無感もない。
ずっと柚有の中で戦っていた2つの光もストンと落ち着いたようだった。

「静まった。」

驚きの表情を隠せない柚有をみてリドは満足そうに目を細めた。

「だろう?俺もここには世話になった。」

「嘘みたい・・・。ゼーダのおかげ?」

「はっ、かもな。」

あまりにも素直な柚有の反応に、リドは苦笑混じりで答えた。

柚有は純粋に驚いていた。
なくなればいいと願った荒れ狂う負の感情が、今は静かに心の底に横たわっていることがわかった。
けれど見つけてしまった以上、もうその感情が消えてなくなることはないだろうと柚有は漠然と思う。

「消すことはできない。誰もがもっているものだから。」

柚有の心を読んだようにリドが言う。

――知ってるんだ。

リドは、知っているのだ。あの虚無感も苛立ちも、絶望も。
だからこそ、不完全に思える一言一言が、こんなにも柚有の心に染みてしまう。

「気づいてしまったお前なら、きっとわかるだろうと思った。
 だから一緒に連れてきた。・・・約束だからな。すべて、話す。」


そう言って、リドは長い話をはじめた。








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