17.決意




厚いカーテンの隙間からわずかな光が差し込んでいた。

静かに立ち上がると、柚有は何かを振り切ろうとするかのように
重たいカーテンを思い切り開けた。
一瞬にして部屋中に明るい光が広がる。
いつのまにか、日が昇っていたようだ。

豪華な装飾が施された鏡台の前に立てば、
そこには一睡もできずぼんやりとした顔つきの自分が確かに映っている。
そこに映る自分を改めて眺め、ショートカットだった髪が
いつのまにか肩につきそうなくらいに伸びていることに気づく。
その艶やかな黒髪は、柚有が日本を離れてからの時間が決して短くないことを物語っていた。

――私は今、ここにいる。

今現在自分が存在している場所は、日本ではない。このゼーダ国だ。
今頼りに思っているのは、母親や学校の友達ではない。ロアやセラウド、そしてクラウドだ。

クラウドは、彼らの住む国が危険に晒されているといった。
私の力、正確に言えば私が与えられたゼーダの力がなければ危機を乗り越えられぬといった。
この国での私の居場所を与えてくれた人が、何よりも心を許せる少ない人達のうちの1人が
力を貸してくれと言っている。

――断れるはずなんてない。

けれど柚有は、頭を下げまでして頼んだクラウドに即座に頷くことは出来なかった。

不安だった。
頷いてしまえば、もう二度と日本へ自分の家へ帰ることが出来ない気がした。
クラウドはそれについては触れなかったが、柚有にはそう思えてならなかった。
力の鍛錬を始めた理由はただの興味本位でしかない。
確かにクラウドの厳しさにはただならぬものがあったが、
まさかこんな訳があったとは思ってもみなかった。
まだ鍛錬を始めたばかりの頃、セラウドが言っていたのはこのことだったのだ。
あの時はそのままにしてしまっていたが、セラウドは柚有のことを
本当に案じてくれていたに違いなかった。

話の終わりにクラウドは、頼みはしたが最後に決めるのは柚有だとはっきり言った。
強要はしないと。
できればそんな大役を任されたくはないというのが本音だ。
しかし何度考えてみても、自分の立場を冷静に分析してみれば出てくる結論はいつも同じなのだ。
クラウドに、協力すること。この国のために力を使うこと。
柚有はクラウドらに守ってもらわなければ、
自分が見知らぬこの世界で立っていられないということを知っていた。
言葉でなんと言おうと、先ほどのクラウドの目は柚有にそう思わせるほど
真剣で有無を言わせぬ色を帯びていた。

――ただ飯なんて虫が良すぎるか。

帰れるその日までに、戦いが終わることを願おう。
1人苦笑した少女の焦げ茶の瞳にはすでに強い意志の光が宿り始めていた。










柚有と話を終え、部屋に戻ったクラウドもまたうまく眠りにつくことができないでいた。
仕方なくグラスに強い酒を半分そそぎ、それを片手にテラスへとでる。

目に入ったのは、紫の光を放つルーンだった。

柚有がやってくる3日前に丸く満ち、はじけたルーンは、また少しずつその姿を現しつつあった。
今は、半分の手前というところだろうか。
柚有が帰れるのは、満ちたルーンがその紫の光を撒き散らしながらはじける一瞬の間だ。
この世界が紫色の光に覆われるその一瞬。
はじけてしまえば空には何もなくなり、時間の経過と共にルーンはまた満ちていく。

ミユキ。
彼女がやって来た時に初めて、クラウドとセラウドは古い書物から
異世界へ戻るための手段を探し出した。
けれど彼女は、自分の意思でこの世界に残ることを選んだ。
しかし、時が経つにつれいよいよその命さえも狙われるようになり
セラウドが無理やりでも元の世界に帰そうとしたのだ。彼女が来てから、既に3年が過ぎていた。
ルーンが丸く満ちた日。この世界に紫の光が満ちたその一瞬。
書物にあるとおりの儀式を行ったが、ミユキは帰ることが出来なかった。
そして・・・・・・。

柚有の場合も次のルーンが満ちる日、つまり彼女が初めてその光を浴びる時だけが
帰るチャンスだと考えて間違いはないだろう。
だとしたら、その日を逃せば柚有は元の世界には戻れなくなる可能性が高い。
そうだとしても。
クラウドは、やがて国を任される後継者として
闇の力が増大していくのを見過ごすわけにはいかなかった。

――どうしてもあいつが、ユウが必要なのだ。

夜が明けて、柚有が首を縦に振らなければどう説得するか。
決めるのはお前だと言ったのは自分だったが、嫌と言われてそのまま引き下がることはできない。
苦い言葉だけが頭の中を掠めていき、いつもは体をやんわりと温めるはずの琥珀色の酒が
今夜は妙に神経を冴えさせる。

――自業自得だろうな。

わかりきっていたはずのやりきれなさも、いざ前にしてみると割り切ることが出来ない。
己の未熟さを思い、クラウドは1人苦笑した。











「おはよう。」

結局一睡も出来ずに広間へと入っていったクラウドを待っていたのは柚有だった。
その瞳に、昨夜のような戸惑いや不安定さはもうなくなっている。
真っ直ぐとこちらを見る焦げ茶の瞳にクラウドは目を奪われていた。

「・・・おう。」

「何その反応。まだ寝ぼけてるの?」

くすくすと笑う柚有は昨日までと何ら変わりがないように思える。
しかし、数時間前の決意は確かに柚有の心を強くしていた。

「クラウ。」

「何だ。」

「私、やるよ。やってみる。」

2人の視線が絡み合う。
お互いに、相手の瞳だけをじっと見つめていた。
まるで相手の目に映った自分を確かめようとでもするように。

ここで視線を外すのは、いつもならば柚有のほうだ。
クラウドの瞳の色の深さに、痛いくらいの鋭さに、耐えられなくなってしまうのだ。
けれど今目を伏せたのは、クラウドだった。

「ふふ。」

「何を笑っている。」

「別にー!」


計っていたかのように絶妙のタイミングでカレルが顔をだした。

「おや、そのご様子では話はついたようですね。」

にっこりと笑ったカレルにクラウドが無言で頷く。

「それでは始めるとしますか。ユウさん覚悟はいいですか?」

今度は自分に向かってにこりと意味深に笑んだカレルを見て
柚有はこれからの彼との鍛錬を思い、少しの不安を覚えた。






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