02.遠く、遠く、遥か遠く

 
あれはたぶん3ヶ月ほど前のこと。 突然耳にとびこんできた思いがけないその音色に足をとめる。 「ここはフランス・・・のはず。」 思わず呟いてしまう。 大学の友達と別れて、いつものようにいつまでたっても暗くならない道を歩いていた。 角をひとつ曲がればわりと広い公園にでるこの道を、夕実は気に入っている。 時々そうするように、角を曲がり公園へと入る。 そして立ち止まると、暑いといえば暑いのにからりと乾いたこの国の空気の中で耳を澄ました。 やはり聴こえるフルートの音色。 タイスの瞑想曲だった。 「琢己、まーた公園で吹いてんのか?お前んとこ防音室あるだろ。」 琢己と呼ばれた男は、おいしそうにミネラルウォーターを飲み干した。 「だって最高に気持ちいいんだよ。空気は冴えてるし。サマータイムなのが残念だけど。  日は完全に沈んでしまうほうが好みだな。」 「ったく。音楽家は変人ばっかりだ。」 「同感だ。けどそれ、画家にもあてはまるね?」 にっこりと微笑んだ琢己の言葉に、優一は大げさにため息をついてみせた。 「俺は画家じゃない。グラフィックデザイナー。」 「似たようなことだろ。」 「やめてくれ。」 優一は無意識に眉をよせ、しかめっ面を作っていた。 「なんだ、機嫌を損ねたか。」 「まさか。」 琢己は苦笑した。この男のまさかは、まさに気分を害した証拠なのだということに気づいていないのは 恐らく本人だけだろう。 しかし、折角フランス旅行がてら会いに来てくれた友人を不快にさせたままではいけないだろう。 琢己は、更に不機嫌そうな表情になった優一の視線から逃れるようにもう一度フルートを構えた。 タイスの瞑想曲。 思い出というには大げさすぎるけれど、この曲を吹くとき心に浮かぶのは 思いがけない場面で郷愁にかられて、ふと我に返った瞬間気恥ずかしくなるような、 そんなくすぐったさだ。 「やっぱりいいな、それ。こんな遠くまできた甲斐あったわ。」 琢己に届くか届かないかの小さな声で呟いて、優一は目を細めた。
 
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